こんにちは、ラッドです。
ブログ51日更新中です。
この記事では、夢を叶えることに対する考え方が、少し変わるような話をします。
努力すれば夢は叶う、叶わない人は努力が足りないだけ。
そう思っている人もいるかと思います。
努力すれば、夢は叶うとは言えません。
夢は叶う人もいれば、叶わない人もいるからです。
そう言われたら不安になりますか?
本気で目指している夢ならば、夢を叶えようとしている過程で「宝物」を見つけることがあるかもしれない。
伊藤亜由子さん(ショートトラックスピードスケート選手)の話が夢を追っている人の助けになるかもしれません。
夢を追い続ける情熱はあるか
努力すれば夢は叶う。
叶わない人は、努力が足りないだけ。
以前は、そう思っていました。
でも、今の私は、努力すれば夢は叶う。
とは言えません。
夢は、叶う人もいれば、叶わない人もいるからです。
そう話してくれるのは、3度のオリンピック出場を果たした女子スピードスケート選手の伊藤亜由子さん。
ご自身の身を持って、夢を追い続けることの意味を教えてくれます。
お時間あれば、動画(約16分)を御覧ください。
努力の先にあった夢のかたち| 伊藤亜由子 | TEDxHamamatsu
伊藤亜由子さんの紹介
1986年、浜松市生まれ。
2010年バンクーバー、2014年ソチ、2018年平昌と、3度のオリンピック出場を果たした女子スピードスケート選手。
スケートを始めたのは小学2年生の時、その後ショートトラック競技に誘われ、中学2年の時、日本選手権に出場。小さいころより、みんなにすごいと言われたい、何の種目でもいいから五輪に出たいとの思いがあり、「この種目なら五輪を目指せる」と五輪出場を志したという。
土地柄、ウィンタースポーツをするには十分と言えない環境の中で、隣りの愛知県のスケートリンクまで車で送ってもらうなどして通い、練習に励んだ。高校卒業後は、トヨタに入社。2014年ソチ五輪のあとには現役引退をするが、競技を支える裏方を経験し、スケートへの思いを再確認。16年の全日本選手権で優勝して復帰し、17年には冬季アジア大会で500m2位の成績を納め、18年平昌オリンピックに出場した。
夢をもつこと
伊藤亜由子さんの最初の夢は、オリンピックに出場することだった。
2010年バンクーバーオリンピックで日本代表に選ばれ、夢を叶える。
しかしメダルは取れず。
次の新たな夢はオリンピックのメダリストになること。
2014年ソチオリンピック。メダル獲得を目指し挑んだが結果は5位。
メダル獲得の夢は叶えることができなかった。
そして、現役を引退する。
夢をあきらめる
年齢のピークも感じていたのと、家庭を築きたい、スケートのない普通の人生を送ることへの憧れがあったこともあり、このオリンピックで引退することを決めていた。
そして、一般社員として仕事に復帰する。
ずっとスケートだけだったので仕事はほとんどできず、いろんな人に仕事を教わる日々が続く。
スケートのない日々は新鮮だったが、思っていたものとはどこか違った。
時間がたくさんできて、好きな事して、楽しい日々が待ってる。
そう思っていたのに、何か物足りない、寂しい気持ちが込み上げてくる。
何をしても楽しくない、心にぽっかり穴があき、そんな自分が嫌いになる。
今の自分は夢をあきらめ、自分の中に限界をつくってしまった。
家庭を持つことは30代でもできる。
スケートは今しかできない。
もう一度夢に挑戦する
そして、もう一度夢をもつ。
再度挑戦する決意をする。
監督からは「スケートも会社もそんなに甘くない」 と言われる。
しかし、諦めきれず何度もお願いし、「その気持ちがあと半年続くようなら考えてみる」 と言われた。
そこで、半年間で自分自身、スケートとしっかり向き合う。
気持ちの再確認の意味を込めて、地元のクラブのコーチや大会役員などスケートを違う角度から見て、
スケートが心から好きなこと、夢を追う自信を取り戻した。
2015年4月スケート部へ条件付きで復帰。
仕事を1日こなし、勤務時間外でトレーニング。
スケートと仕事の両立は大変だった。
仕事は、7時半から18時頃まで働き、19時から20時までウエイトトレーニング。
20時半から22時までスケート、家に帰るのは23時。
トレーニング計画を立てても、残業で遅くなった日は、氷にすら乗れない。
合宿も一人で計画し、一人でやった。
練習相手もいない。タイムを計ってくれる人もいない。ビデオを撮ってくれる人もいない。
そんな中で、一人で滑った。
宿泊代や交通費、リンクの貸切代は、全て実費。
1年間の給料と有給は全てスケートに費やした。
スケート関係者からは「どうせ代表には戻れないよピークは過ぎたよね」という声が聞こえてくる。
悔しい日々。
この生活では練習量も足りないし、代表復帰は厳しいかもしれない、と。
体の疲労や精神的疲労もあり、心は折れそうだった。
仕事がなければもっと練習できるのに。
応援してくれる仲間
そんな日々を送っていた時、職場の仲間が就業時間後にトレーニングをしていることを気にかけ、仕事を手伝ってくれるようになった。
「後はやっといてあげるから練習行っといで」
「また応援できるのは嬉しい、がんばろうな」
そんな職場の方の言葉に救われた。
このとき、スケートも仕事も100%で挑もうって決めた。
仕事を一生懸命やることで職場の雰囲気が良くなり、人間関係が深まっていった。
思っていた以上に、職場のみんなは考えてくれていた。
両立すると決めたのは、自分の仕事を疎かにしてまでスケートを復帰するのは違う。
これまでスポーツは「結果を出さなければいけない」という強い意識だった。
自分の「結果を出さなければ」は、
みんなのために「結果を出したい」に変わっていた。
2016年1月復帰戦の全日本選手権みんなの思いを胸に滑った。
結果、2年間のブランクを乗り越え総合優勝。
そして、日本代表に復帰し、2018年夢に向かって、3度目のオリンピックに出場したが、結果は6位。
メダル獲得の夢は叶えることができなかった。
そして、2度目の引退をした。
夢を追い続けた先にあったもの
結局、復帰しても、夢を叶えることができなかった。
しかし、復帰したことで、私は大切な仲間の存在を知ることができた。
諦めず努力し、夢を追い続けたことで、本来の夢以上のものを手にすることができた。
メダル以上の価値あるものを得ることができた。
夢に向かって努力したけど叶わなかった。
スポーツをしているとどうしても「結果が全て」と言われ、実際にどんなに内容が良くても負けたら意味がないと評価される。
でも、人生においては、夢を追う過程を重視してもいいかと思います。
目に見えるものだけが結果とは限りません。
目に見えないものであっても一生の宝物になることもあります。
私のように。
さいごに
いかがでしたでしょうか。
色んな人の夢に触れると、夢を叶えようとする気持ち、挑戦する気持ちが出てきませんか?
そうなってくれたら嬉しいです。
最初は、自分だけの夢で走り続け、次は応援してくれる人と一緒にみんなの夢として、一緒に追い続けた夢。
夢は夢でもたくさんの人の想いを乗せた夢は、本人も思ってもみなかった力が出たんじゃないかな。
この場合の順番て大事だなと思いました。
まず、夢があり、挫折し、再挑戦する。その一生懸命な姿を見て、周りが応援する。
夢を叶えることは出来なかったけど、かけがえない仲間がいたと気付く。
仲間は宝物だなって。
本気の頑張りがないと、この気付きにはいたらないかもしれないな。
心から好きなことを、一生懸命やる。ただ頑張る。
そうすると、夢が叶わなかったとしても、その過程で気付ける「何か」が見つかるかもしれません。
今日も頑張ろう!
どうもありがとうございました。
それでは、また明日。
良い1日を。
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